
今日は週末ですね。この一週間お疲れさまでした、仁です。
あなたにとって、この一週間はどんな日々だったでしょうか?
今日の写真は、ついさっき仕事から帰る途中で写しました。
今年の梅雨は、梅雨とは思えない涼しくて雨の少ないお天気が続いていますが、今日は少し暑くなりました。
勤め先の駐車場に止めてある車に乗って、窓を開け、たばこに火を点けました。
しずかにたばこを吸っていると、涼やかな、軽やかな音が聞こえてきます。
さらさらさら。
なんだろう?
今まで聞いたことのない音です。
すこし大きくなった稲の葉が、夕暮れの風でふれあって立てている音でした。
今まで何年この駐車場からわが家に向かったことでしょう。
今日、初めて稲の葉の音を聞きました。
今、僕は自分を責めています。
きっかけはどこにでもあるようなささいなこと。
その気持ちは、自分には価値がない、を通り越して、自分などいないほうがいい、というところまで感じていました。
はじめは僕の中に自分を責める気持ちがあることにも気がつきませんでした。
おなかが、胃が重い。重苦しく感じる、から始まって。
落ち着いて僕のこころを感じていると、僕は自分を責めていた。
そのことに初めて気がついたのでした。
僕は、その気持ちを、自分を責めている気持ちを認めて、受けいれることにしました。
そうしたほうがいい、そうしたいと感じたからです。
理由なんか、ありません。
その気持ちを受け止めて、今日で三日目。
今日は稲の葉が立てる音に気がつくことができました。
自分を責める気持ちを認めるのは、苦しいことでした。
その苦しさの向こうにある静けさに気がつくために、僕はこの気持ちを味わっていたのかもしれません。
仁
6月22日(月)
仁です。
このエントリーは、エッセイのような終わり方になっていましたから、その後のことをお知らせしたいと思います。
今は自分を責めていません。
今回は2日程度で自分を責める状態から抜け出せたようです。
今回のことを振り返ってみてみると、こんなことに気がつきました。
・こころの状態に注意していた。
意識できない重苦しさをずっと感じていました。この苦しさはなんなのだろうと落ち着いてこころを見たときに、初めて自分のこころに無価値感と自分を否定する気持ちがあることに気がついたのです。
・自分を責めていることを受け入れた。
エントリーの中に書いているとおり、意識しないで自分を責めていることを認めました。こころは目に見えません。身体が傷ついたのなら、アザができていたり血が流れていることに気がつきますが、こころが傷ついたとき、こころが血を流しているのを僕たちは見ることができない。まして、その傷がどうしてついたのかを知るためには、落ち着いて自分のこころを見つめるしかありません。
そして、僕は自分が僕のことを責めているのに気がつくことができたのです。わかりやすく言うと、僕をいじめていたのですね。
自分がそうしていることを認めると、自然にいつまでもそれを続けることができなくなります。誰もいじめはしたくないものですから。
・そして今は
すかっと青空が広がっているわけではありませんが、おだやかに自分の心を見つめることができています。ことばにすると、僕はこんな人だったんだな、僕はこれでいいんだ、という感じでしょうか。
次のエントリーではこの続きをご紹介しますね。
みなさまの今日の一日がすばらしいインスピレーションに満ちていますように。
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2 件のコメント:
自分を責めている自分のことを認められる仁さん、素晴らしいと思います。
人は、「自分を責めてはいけない」、そう思うことでも自分を結局は責めることになると思いますから。
こころの隙間、それは、一人になって、ふとした瞬間にたち顕われるのかもしれない、そうまた思いました。
素敵な気づきを与えてくださって、ありがとう。(^^)
やっと自分を責めてもかまわないのだと思えるようになりました。
たった一人しかいない自分をたいせつにすることができるようになったんだって。
稲の葉が立てる音に気がつく前に、僕は自分を許していたのだと思います。
それは、自分を責めていることを認めていたから初めてできたこと。
これからも、美愛にその瞬間が訪れますように。
コメントしてくれて、ありがとう。 (^^)
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