2010/04/07

「神との対話」1巻5章から・・・ (美愛)



ニール:それでは欲望や自我を拒否するという生き方は、間違った道なのですね。

:「真実ではない。拒否という言葉は、間違った意味を持っている。拒否しても、実際には何も捨てられない。・・・抵抗すれば相手はますます強くなるからだ。真の悟りとは捨てることではなく、違う選択をすることだ。何から離れる行為ではなく、何かに向かう行為である。・・・」
神との対話1巻5章から

この文章の中で、私のこころに響いた言葉は「拒否」と「抵抗」と「捨てる」という言葉。

拒否する前に必ずもやもやした違和感があり、はっきりこの3つの言葉に至る前に、体が勝手に先に反応していたりすることもしばしば。反射的に相手を手で押しやっていたり(苦笑)。

相手があまり親しい間柄ではない場合、感情は内向する傾向が強く表れるようだ・・・。責める傾向といってもいいかもしれない。そういった傾向があることに、こうして書いていて初めてハッキリ気がついたこともあるが、この神の回答は、私のそういった固定観念を気づかせてくれ、破るに相当効果があったと言える。

今まで内向して自分を責め、耐えられないので相手を拒否し、抵抗し、そして捨てる・・・、この繰り返しをしていたのだ。

「違う選択」もあるのだった・・・。離れる必要はなく、別の捉え方、選択もあるし、しかもそれは無数にあるのだった。

江原さんが彼の本の中で言っていた言葉、>ehara_bot:鬱で悩みがちな人のたましいってよく言えば実直なんだけど、ちょっと融通が利かないところがある。だから、右がダメなら左に行こう、といった臨機応変な対応が出来なくて、つまずきやすいんです。  (Twitterより)

これが神の言葉い正に当てはまるのかもしれない、そう思った。

それでも、自分は対人関係で同じパターンに陥るのではないか・・・、そういう恐れを持っている。

これはまた別の観念なのだろう・・・それは、また次に。



美愛

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